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老いても咲きたての薔薇のように コラム 小林啓子

「第1回:老いても咲きたてのバラのように」

~小林 啓子・ことばの旅路~

 いきなりだが、私は詩人「茨木のり子」が好きである。
若かりし頃から今の年齢まで、自分の感性を刺激しつづけてくれる詩人だからである。

 当時、歌手である私は、カバー曲を歌うことが多かった。
 だが、21歳を過ぎた頃、レコード会社からオジリナルのアルバム製作の依頼があり、どうしてもオリジナルの一曲を作る事になった。
歌詞を書くために…。また、感性を磨くため、色々な詩集を読み漁った。その時に手にしたものが、茨木のり子の「おんなのことば」の詩集であった。
この中には、「わたしが一番きれいだった時」「自分の感性ぐらい」と有名な詩もあったが、「はじめての町」に目がとまった。
 東京がふるさとである私は、旅に出る度に、山や川にその町(街)のニオイを探していた。そんな私にピッタリだった。
ただ、当時の私は精神的に幼かったので、一番重要な箇所は理解できていなかったのだが…。
それから、茨木さんの詩が好きになり、鶴岡にある素敵な場所に眠る茨木さんのお墓参りもさせて頂いている。

 そして、その後、「老いても咲きたてのバラのように」という言葉に出会った。

「心惹かれるもの、夢中になれるものは、まず、自分の“震える弱いアンテナ”に受信されるもの。」
「どんな時代でも、何歳になっても、“年老いても咲きたての薔薇”のように自分で磨き、感性を高めながらも、絶対に守らなくてはいけない。」(詩集「汲む」の「~ 残り香によせて ~」より)

この言葉こそ、これからの私への言葉だと思う。
それなのに、茨木さんは、なんと20歳の頃に書かれていたのだ。驚きである。
感性はブルブル震えるアンテナでいいのだ。その言葉が、改めて心に染み込んでくる。
素敵だ。これから歳をいくつ重ねていくか分からないが、この言葉を胸に生き抜くつもりである。


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「はじめての町」茨木のり子

   はじめての町に入ってゆくとき
   わたしの心はかすかにときめく
   そば屋があって
   寿司屋があって
   デニムのズボンがぶらさがり
   砂ぼこりがあって
   自転車がのりすてられてあって
   変わりばえしない町
   それでもわたしは十分ときめく


   見なれぬ山が迫っていて
   見なれぬ川が流れていて
   いくつかの伝説が眠っている
   わたしはすぐに見つけてしまう
   その町のほくろを
   その町の秘密を
   その町の悲鳴を


   はじめての町に入ってゆくとき
   わたしはポケットに手を入れて
   風来坊のように歩く
   たとえ用事でやってきてもさ


   お天気の日なら
   町の空には
   きれいないろの淡い風船が漂う
   その町の人たちは気づかないけれど
   はじめてやってきたわたしにはよく見える
   なぜって あれは
   その町に生まれ その町に育ち けれど
   遠くで死ななければならなかった者たちの
   魂なのだ
   そそくさと流れていったのは
   遠くに嫁いだ女のひとりが
   ふるさとをなつかしむあまり
   遊びにやってきたのだ
   魂だけで うかうかと


   そうしてわたしは好きになる
   日本のささやかな町たちを
   水のきれいな町 ちゃちな町
   とろろ汁のおいしい町 がんこな町
   雪深い町 菜の花にかこまれた町
   目をつりあげた町 海のみえる町
   男どものいばる町 女たちのはりきる町

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